この記事では、
タイナンパ &風俗ブロガーたはら(@tahataha4646)が、タイにあるリゾート地、パタヤの歴史を紹介していく。
バンコクから1番近いリゾートとして、タイ国内外の人を魅了してやまないタイ、パタヤ。
たはらもパタヤには足繁く通い、パタヤのナンパについて、またパタヤ風俗、立ちんぼについての記事も書いてきた。
そんな世界一卑猥なビーチリゾートパタヤが、いかにして現在のパタヤになったのか、「歴史」という面からを紐解いていきたい。
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パタヤも好きだけど、素人にもいきたい。。
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タイ・パタヤの歴史
リゾート地、パタヤとしての歴史は、実は意外にも短い。
パタヤの先史はほとんど語られることは無く、と言うのも、パタヤは1950年頃まで何もないただの漁村だった。
(写真は1952年のもの)
ここから、パタヤが世界一卑猥なビーチリゾートへ発展していく。
1950年代後半:
バンコクから人が来始めるも、悪路で8時間以上掛かっていた
1950年代、パタヤは何もない漁村だったが、バンコクから定期的にやってくる人が現れ出す。
しかし、バンコク〜パタヤ間は悪路で、8時間以上もの時間がかかっていたという。
※現在バンコク〜パタヤ間はバスで2〜3時間
1959年:
コラートのアメリカ軍兵士500人が休暇としてやってくる。
1959年6月に、バンコクの北東、コラート、ナコーンラーチャシーマー県に駐屯するアメリカ軍兵士約500人が、何もなかったパタヤビーチの南端の家を借り1週間の休暇を過ごす。
これが「素晴らしい体験だった」とアメリカ軍内で評判が広まり、バンコクに代わる休暇の行き先として、アメリカ軍兵士達がたびたび訪れるようになった。
米兵が増えるにつて、地元の人々は食事等をもてなし、これがパタヤの観光産業の始まりと言われている。
1960年代前半:
パタヤ初のバー&レストランがオープン
1960年代前半には、アメリカ人向けのレストラン、バーなどが出来始める。記録されている中では、The Blue Patayaなどのバー&レストランがパタヤにオープン。
1965年:
パタヤ初のホテルがオープン
1965年、パタヤに初めてのホテル、Nipa Lodge Hotelがオープン。
その後、このNipa lodge hotelは名前を変え、現在、 Basaya Beach Hotel & Resortとしてパタヤセントラルロード付近で営業中。一泊1000B以下でお手頃。
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1966年:
ベトナム戦争のアメリカ軍基地としてパタヤ近郊のウタパオ空港が開発
1966年、パタヤは大きな発展の時を迎える。
ベトナム戦争のアメリカ軍基地としてパタヤ近郊のウタパオ空港が開発され、休息地としてパタヤを訪れるアメリカ軍人が急増。
それに伴い、バー、ホテル、女の子も増え一気にリゾート化が進む。
ベトナム戦争中に、パタヤは一気にアメリカ人向けの保養地として発展し、1975年にはホテルも2600室に増加。
1976年:
ベトナム戦争終結に伴い、アメリカ軍撤退→ヨーロッパからの観光客誘致へ
ベトナム戦争が1975年に終結。アメリカ軍も東南アジアから撤退。それに伴い、観光客数は一時50%も減ってしまう。
しかし、その穴を埋めるように、1980年代はヨーロッパからの観光客誘致に成功。着実に観光地としてのポジションを確立し、ホテルの客室数は11,000までに到達。
1991年〜:
ソ連崩壊後はロシアからの観光客誘致に成功
1991年、ソ連崩壊後にはさらにロシア人観光客が増加。現在もパタヤの街中にはキリル文字が溢れる。
また、1997年にはアジア通貨危機での歴史的なバーツ安を受け、観光客はさらに増えることとなる。
さらに近年は中国人観光客が増え、パタヤは大型のホテルや、バーが無数に溢れる世界的な有名リゾート地へと成長する。
現在のパタヤ
現在、パタヤを訪れる観光客は年間約1700万人、観光収益は約2000億バーツにも上ると言われる。
国別のパタヤ観光客数は、
- 1位:中国
- 2位:ロシア
- 3位:韓国
- 4位:インド
- 5位:ドイツ
中国人観光客だけでも年間250万人〜300万人がパタヤを訪れる。
また、パタヤのホテルの数で比較すると、
- 1965年:1軒
- 1975年:2,600室
- 1978年:3,150室
- 1980年:7,000室
- 1984年11,000室
- 2005年35,000室
と、たった数十年で飛躍的にパタヤが発展したことが分かる。
パタヤの歴史まとめ
わずか数十年で何にもない漁村から世界的なリゾート地へと姿を変えたパタヤ。
アメリカ軍人向けの保養地として歴史が始まり、ベトナム戦争を経てリゾート化を進め、終戦後は一時落ち込むも、ヨーロッパ、ロシア、アジアと世界各地の観光客の誘致に成功してきた。
パタヤはバンコクと比べても開放感が全然違う。バンコクから来ても、毎回ちょっとした異国を感じることができる。その開放感故、パタヤは普段ナンパしない人にとっても可能性がグッと上がる。
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今では、街中が全てエロ抜きには通れないような卑猥なビーチリゾートだけれども、発展の歴史を学ぶとまた違って見える。ぜひ、パタヤの歴史を学んだ上で、ナンパでも夜遊びでも、パタヤを楽しんでみてほしい。
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